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「学ぶ」ことの意味について考えてみた

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「学ぶことの本来の意義」について個人的な見解をお伝えしたいと思います。
まず私は、2015年より某大学院において経営学を学んでいるのですが、経営学修士でいうところの「経営学」とは、大きく「思考系」「ヒト系」「モノ系」「カネ系」に分かれており、基礎→応用→展開のレベルを3年前後費やして修学します。
概要だけご説明しますと、徹底的な論理思考の訓練に始まり、ネゴシエーション、定量分析、組織における人的リソースの活用、リーダーシップ、メンタルなど人の行動を科学する分野、そして経営戦略、マーケティング、進歩が著しいテクノロジー分野と、経営の要所である財務会計及び管理会計とコーポレートファイナンスなど、この他30科目を超える内容の中から目的に応じて取捨選択していきます。
実例によるケーススタディと、ディスカッションによって様々な論点からの問いを作り、「自分ならどうするか」の意思決定に納得できる根拠を持つことを積み重ねていきます。

修学しながら、間違いなく言えることは、学びのないところに進歩と発展はなく、違いを生む意思決定が生まれることはない、ということです。

さて、唐突ですがここで質問です。皆様にとって「実践」とは何を意味しますか(1分ほど考えて頂き、明瞭な説明が出来るか試してみて下さい)。

これは私が以前、仲良くさせて頂いている創業経営者K氏に投げかけた質問です。
K氏は大変なご苦労をされてご商売を少しずつ大きくされてきました。
K氏曰く、「勉強もいいが、実践をしないことには何の成果も生まれないじゃないか」と。私も何ら異論はありません。が、ほんの僅かに違和感を感じ、「K氏にとっての実践とは何を意味されるのですか」と質問してみました。K氏「いわずもがな、行動することじゃないか」とのことです。私もそのとおりだと思います。しかし、一体何を軸にして行動をすれば良いのでしょうか。まさか闇雲にとにかく行動することが「実践」ではないと思います。
私が思うに、行動を起こす前に知見を基にした仮説を立て、検証と改善の行為こそが「実践」だと考えています。これは私自身が強く思うところの、「学びと実践は両輪である」という所以です。

今や昭和の頃のような産業や情報がシンプルだった時代ではありません。
あらゆるものが複雑に絡み合い混沌さを極め、また技術の進歩の早さが人の理解を置き去りにもしているという側面もあるでしょう。
数学に例えると、公式やその前提となるルールを知ることが難題を解く可能性に繋がるということと似ています。
間違いなく知識は問題をシンプルにします。
全てにおいてではありませんが、知識あるものが無知に勝ることは疑いようのないことです。
「シンプルに考える」ということと、「シンプルに『しか』考えられない」の両者には致命的な違いがあることは理解して頂けると思います。

経営とは意思決定の連続です。
その意思決定を助けるのはやはり幅広い知見であり、俯瞰する力であり、共通言語で通じる環境の整備だと思います。

企業の大小問わず命題は、いかに未来の社会に対する責務を果たし、貢献できるか。ミッション(使命)を果たすためには、企業の主体である人の教育にあります。
より良い違いをもたらすための「学び」は高い「志」に根付くものであること、そして切磋琢磨し合える「仲間」の存在に支えられることが大切です。

学ぶことの意義とは、不完全、混沌とした情報を知識によってシンプルにし、意思決定を支えるためのものです。
成果につながる実践は、間違いなく良い経営を創ります。
その可能性の根拠は、「再現性」を持って最大限にすることが求められるのではないでしょうか。

次回につづく。

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